Shahida Arabiに関連して「補足的ナルシシスト」という概念を思い出し、その発案者であるユルク・ヴィリィについて改めてネット検索していたら、たまたまYoutubeで以下の加藤諦三という人の動画を見つけました。
加藤諦三氏は精神科医でも臨床心理学者でもないけれど、よくメンタルヘルスに関する発言をされている方のようです。著書でユルク・ヴィリィについても言及されているようです。動画では、彼がナルシシズムというものがなぜ重要な問題なのかを説明しているのですが、通して視聴して、私的に大きな問題を感じなかったのでメモ代わりに紹介します。初心者向け。
集団ナルシシズムとヒューマニズムの対立は、ぼんやり私も考えていたことで、動画内で明示的に説明されたので多少驚きました。ただ、同時に、ナルシシズムもヒューマニズムの一部だとも言えると思っていたので、このあたりは難しいです。加害者側にもヒューマニズムがあるというか、人間はそんなふうに不完全な生き物なのだ、と言ってしまえなくもない。
追記(2022/06/11):
空いた時間に加藤氏の上掲以外の動画も視聴しているのだが、微妙。
加藤諦三氏は、長年人生相談番組をやってこられた社会学者だそうで、社会心理学系の限界みたいなものも感じる。夫の暴力に悩んでいる妻が文句を言いながらも別れようとしないのは問題解決の努力を怠っている、というような主張など、聴いていてクラクラした。表面だけ取れば間違ってはいないかもしれないが、これはおそらくは「共依存」の問題であり、言葉は運良くなにかのきっかけにはなるかもしれないが、相談者の心には届かないかもしれない。
専門家でもないのに、見ず知らずの他人の相談に大量に乗れる人というのは、ある種の誇大感の持ち主かもしれない。
追記2(2022/06/13):
近くの図書館にあった加藤諦三氏の本を借りて読んでみたのだが、曖昧な根拠からの強すぎる断定や、次元の混同、過剰あるいは軽率な一般化、などが広汎に見られるかなりな代物だった。ただ1994年に以前書いたものをまとめたような出版だったので、その頃の日本ではパーソナリティ障害とかアスペルガー症候群とか愛着理論、あるいは複雑性PTSDなどの概念はほぼ知られていなかったと思われるから、絶対的に武器が足りなかった時代かもしれない。
現代的には気恥ずかしくて誰も使わない「男とは~」「女とは~」といった類の大きな主語が頻出し、男女関係にまつわる些末あるいは卑近な例からの、過剰な一般化が繰り返され、考察とも言えないような散漫かつ軽薄なドグマが展開される。
先約のある新し目の本も予約したが、順番が回ってくるのはやや先になりそう。
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