2013年2月アーカイブ

 自己評価や自尊感情の低い人は、できることなら少なくとも最低限の水準までは、肯定してくれる他者に依存するのではなくて自分で自分を肯定できるようになるのが正攻法だと思うけれど、なかなか簡単ではない場合もあるかもしれない。
 たとえば彼らに対し、カーンバーグならあくまで他人としてサポートなのだが、コフートは違うようだ。
 コフートは、人の依頼心の根本的なぬぐいがたさを強調する。確かに、普通人は一人では生きてゆけず、誰かと感情を分かち合いながら生きてゆかざるをえない生き物なのだろう。しかし、心のほとんど原初的と言っていい基礎部分を、大人になってから他者に依存して維持するというのは、かなり危険なことだと私は思う。それは本来親子関係を通して幼少期に完成していなければならなかったはずの部分なのであり、事後的な人間関係による補完は健全な形ではとても難しいものである気がする。幸福でなかった親子関係からできる限り距離を取り、いつか不当に否定されたありのままの自分を覚悟として自分で肯定してしまうのがひとつの方法になるのではないかと思う。そういう内的なやり直しがどこまで有効かつ適切に実現できるかはかなり個別の事情に左右されるかもしれないが、共依存のような病的な依存関係に陥らないためにも、できるだけ自助努力によって最低限の自尊感情の回復を目指すべきだ。
 たとえば、(人種)、性別、容姿、能力、自分史、基礎的欲求、etc...を肯定してしまうといいと思う。

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Version:10.0.9200.16521

・オンラインインストール
http://windows.microsoft.com/ja-jp/internet-explorer/download-ie

・オフラインインストール
http://windows.microsoft.com/en-US/internet-explorer/downloads/ie-10/worldwide-languages

 アメリカ時間で25日にリリースされていたようだ。個人的に、ようやくIE9によるデスクトップアイコンの再描画に悩まされずに済む。要は自分が使っているビデオチップと相性が悪かったのであり、ChromeやIE8を使ったりもしていたのだが、これで全体の処理も速くなったみたいだし、IE10を既定で使うことにする。

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Schopenhauer Parerga und Paralipomena.jpg いわゆる『ヤマアラシのジレンマ』と呼ばれる思考実験は、哲学者ショーペンハウアーが作った寓話から来ている。ショーペンハウアー『余禄と補遺』第二巻第三十一章『比喩、たとえ話、寓話』内の最後の節である第三九六節がこれに当たる(右画像は白水社『ショーペンハウアー全集14』p306-p307から)。
 この寓話をニーチェ(『悲劇の誕生』二二)やフロイト(『集団心理学と自我分析』Ⅵ)が引用しているということで、それぞれ該当箇所を実際読んでみたのだけど、やや拍子抜けというか、そんなに重要な扱いではない感じだった。ニーチェの方は、魂を揺さぶるはずの芸術を凡庸な批評によって社交のつなぎのように消費する聴衆の退廃について述べるときに、この寓話を引用している。フロイトの方は、人の心はアンビバレントな面があるという一般的な説明の例示として、あくまでゆるく引き合いに出している感じで、その後に、集団的な陶酔がそういう個人間の自己愛的な牽制を取り払ってしまう場合があると本題に続いてゆく。

 下はYOUTUBEで見付けた仲のいいアルビノ・ヤマアラシのつがいの動画です。最後に交尾しています。求愛のシグナルなのか、オスがしきりに足踏みするのがかわいい。針毛が寝ているので特に痛くはなさそうです。たぶん。

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 なんだか体調がすぐれないと思っていたら、また風邪を引いてしまった。

 結局『The Restoration Of The Self』読み始めたが、急いで読む本でもないので、無理せず暇なときに少しずつ読んでゆく。面白くなってきたら勝手に加速するであろう。

 利他や喜びの分かち合いはそれとして、前提というか土台というか低次というか、目の前の現実が、自分が働きかけ作用することによって(たといささいであっても)変化する喜びというものがあるような気がする。うまく言えないが、なんでもいい、何かが動くとか変質するとか形を変えるとか...、能動性の基礎となる喜び。特に観察的な意識に囚われている時には、人はどこかぬけがらのようになるというか、そういう自己を主体とした感覚を忘れがちになるもののような気がする。ともすると観察する意識に囚われがちな私としては、「能動の喜び」を肝に銘じよう。

 中国軍のレーダー照射。戦争はいやだなあ。

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 今週初めにデスクトップPCのOSを再インストールする羽目に陥ってしまった。
 古いフリーソフトをWindows7上で動かしたのが事の発端だと思うのだが、CPU使用率が当該ソフトを閉じても100%から戻らなくなり、もちろんそれ自体も良くないのだが、たまたま同時に開いていたブラウザのフラッシュプレイヤーの調子も連動して悪くなって、何とか改善しないかとフラッシュの入れ替えやAMDのビデオドライバを最新にしたりしていたら、OS起動時に必ず「kdbsync.exeは動作を停止しました」というメッセージが出るようになってしまい、クリーンインストールする決断に至った。
 この、ビデオドライバソフトによる「kdbsync.exeは動作を停止しました」というメッセージは、ある種のアップデートの失敗のようで、検索するといくつか関連・類似がヒットする。改善策としては、部分機能をアンインストールする方法とレジストリをいじる方法があるようだったが、潜在的に事態が複雑化していると思えたのでどちらも採らず、根本治療することにした。
 その他、Microsoft Security Essentialsの「フル」モードで2度スキャンして検出ゼロだったので、ウィルス等が原因であることは考えにくい。
 HDDフォーマット前に、クロスケーブル経由でノートPCにほとんどのデータを退避。LANボードもケーブルも100Mbpsには対応していたのだが、もう一段上の1Gbpsが欲しいところだった。ただ、あまり高速になるとHDDの処理速度等も転送速度に関わってくるかもしれない...。

TheRestorationOfTheSelf.jpg Kindleストアでハインツ・コフートの『The Restoration Of The Self』を買ったので、まずは予習かたがた和田秀樹の新書を2冊読んでいた。和田秀樹でコフートに出会う人は少し不幸な気もするが、どうなのだろう。私は『The Analysis Of The Self』の邦訳と他の作家による『コフート理論とその周辺』という入門書をすでに(漫然とだが)読んでいたので、コフート派・和田氏に対する名状しがたい違和感を保持し続けることができた。と言っても、相対的に、和田氏は「それなり」にはまともな人だとは思った。少なくとも商業マスコミに出てくる精神科医に限れば幾分ましなほうであるかもしれない。(私は商業マスコミによく出る精神科医は本業で問題を抱えてるのでは?と疑っているところがあるので要注意)
 このブログからも推察できるかもしれないが、私はどちらかと言うとクライン―カーンバーグのラインを素人なりに好んできた。ただ、コフートが嫌いなわけでは特になく、独立峰的なイメージを持っている。
 予習は終えてさあ本体を読み始めようと思っているが、どういうわけか気が進まない。
 利他とか、喜びを他人と分かち合うとか、そういったことが最近個人的に気になっているのだが、コフートではあまりいい「化学変化」を期待できない気もする。しかしまあ、あまり無用な先入観を持つのはよそう。

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