2013年3月アーカイブ

CIMG1227.jpg 上写真(拡大980KB)は京都御苑西隣にある旧有栖川邸のあんまりしだれていない枝垂桜。ほぼ満開といっていいと思われた。枝垂桜はソメイヨシノよりも1週間から10日ほど早く咲くらしい。旧有栖川邸は今は平安女学院の所有になっているようだ。

CIMG1239.jpg 上写真(拡大718KB)は京都御苑内に湧き出る小川近くにある「出水のしだれ桜」と呼ばれている枝垂桜。こちらも満開。入れ替わり立ち代りで、いろんな方が思い思いに撮影をされていた。これの撮影のちょっと前には、自転車の前かごに入れたダックスフンド越しに撮ろうと角度を探っている飼い主のひとがいて少し微笑ましかったです。梅林の方もまだ満開で今日の御所はかなりだった。

 胃や肝臓を休ませるためあえて風邪薬をやめたのと、高タンパク食、それと今日の長時間の徒歩で、かなり体調が改善してきたかもしれない。指先に出ていた荒れなどが明らかにおさまってきた。これで風邪長期化の原因もなんとなく見当ついたかも。

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 2月の初旬からずーっと風邪を引き続けているのだけど、おそらく何度も引き直しているのだと思われる。『バカは風邪を引かない』などと言うが、引きすぎる方がもっとバカであることは疑いえない。それで、このところ暖かくなってきてようやくこの風邪のメビウスの輪から逃れられそうな気配になってきた。少なくともはなみずはほぼ出なくなってきた。なんとか完全脱出を願う。

 ミッション系大学の定義とか、なんかぜんぜん理解していなかった。ミッションスクールとミッション系大学は別の意味を持っていて、たとえば同志社も平安女学院もミッションスクールではないのだがミッション「系」とは言えるらしい。こないだのエントリーで間違ったことを書いてしまったので直した。

 別のドメインで運用しているCGIスクリプトにきわめて初歩的なバグを複数発見。あわてて修正。記憶をたどると、一度機能を総点検してバグを全部出したはずだが、その直後に多少機能変更した際に付随する形で新たなバグを発生させてしまったようだ。その初歩的なミスを含んだままで、一年以上も運用し続けていたことになる。ずっと自分自身も利用していたのにいったいなぜ気付かなかったのかと思うが、自分が使う方面の機能については問題がなかったのである...。

 ホストアドレスtkl.iis.u-tokyo.ac.jpが何をしているのか気になっている人はだいぶ前からいるみたいだが、昨今私も気になっていた。上記CGIスクリプトの方にほぼ毎日大手検索エンジン並みのアクセスを寄こしてくるのだ。ホスト名から単純推察するに、おそらくhttp://www.tkl.iis.u-tokyo.ac.jp/からのアクセスだと思うのだが、表示されるWEBページは「喜連川・豊田研究室」とタイトルされていて情報処理系の研究をしているようだ。クローリングの技術開発蓄積したWEBアーカイブによる社会分析等をしているようだ。

 少し前にネット上のどこかでマルちゃんの「正麺」という袋インスタントラーメンが新製法でおいしいと話題になっているのを見かけていたのだが、その時点ではさほど興味もなかった。だが、どういうわけか近くの大型スーパーで、いつ行っても棚の段ごと全部売り切れているので、『そんなにか?』と次第に興味が募ってきて、昨日別の店にあった塩味ととんこつ味を買って、午後に塩味の方を食べてみた。たしかに、インスタント麺なのに出来上がりがかなり生麺のそれに近いような気はした。しかし、逆に言えば普通に生めんをゆでたのよりやや劣る。それと付属のスープが胡椒の印象だけでうまみ自体が薄い気がした。麺を湯がかなくていい分生麺タイプよりひと手間少ないとは言えるのだろうけど、従来の袋インスタント麺よりは少し高く、なんか微妙な位置取りの商品だと思った。

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 今月初めごろに『「草枕」変奏曲―夏目漱石とグレン・グールド 』を読んでいたのだが、なんとなくグールドの楽しみ方が自分なりにようやく多少は把握できた感じで、借りたCDを聴いたりYOUTUBEでグールドの演奏を視聴したりしていた。YOUTUBEの書き込みで「彼は聴衆のためでなく、自分のために弾いているのだ」と批評している人がいて印象的だったが、そういう解釈は一見それっぽいが違うのではないかと思える。もとよりサービス精神の塊であるグールドはむしろ他人のためにこそ弾いていたのだ。ただ、彼の聴衆への贈り物は少し特殊なものだったのだと思う。
 いろいろな演奏者によるゴルドバーグ変奏曲をYOUTUBEで聴いてみたが、グールドが異質なのはその非共感性なのだと思う。誰もがゴルドバーグ変奏曲を媒介にして自分の感情を吐露するような弾き方をする。もともとは不眠に悩む伯爵を元気付けるために書かれた曲であり、聴き手へのやさしさや気遣いや苦悩に対する共感を思い入れたっぷりに演奏に込めるのが通例である。しかしグールドの弾き方はむしろそのような共感的な情緒を排した過剰なクリアネスを特質として帯びている。たとえば、大人の哀しみを理解しえない子供が、子供なりの愛情から事情も分からぬままにあれやこれや慰めてあげようと精一杯に腐心している感じに近い。この変奏曲はまさに14歳の少年演奏者ゴルドバーグを想定してバッハが書いたものであり、確かに永遠の少年だったグールドにとっては運命的な楽曲だったと言えるのかもしれない。
 うわさ通りに、グレン・グールドが発達障害の一種であるアスペルガー症候群だったかどうかは、分からない。が、たぶんそうだったかもしれない。グールドのインタヴューの衒学的な無内容さは、空疎な感情しか持ち得ない自分の身を守る(隠す)ために、どこかで聞いたような他人の批評の言葉をかき集めて、弾幕のようにめくらめっぽう撃っているのに近い感じがする。ゴルドバーグ変奏曲以外でもグールドはクリアな弾き方を決して崩さない。情緒的なモーツァルトを嫌い、さらに情緒的なショパンに至っては弾いてみせることすらしなかった。自分の過剰にクリアな弾き方に合致する楽曲しかまともに弾けなかったとも言えるだろう。
 グールドから聴衆への贈り物は、微に入り細をうがつような情緒的絡みつきをごっそりそぎ落とした、異様な象形をなしている。微細な情緒表現を期待するリスナーには、自閉的で不親切に映るかもしれない。しかし、彼は彼の言葉できわめて誠実に語りかけているに過ぎない。
 50歳近い最晩年のテレビ収録で、担当の女性ディレクターが突然泣き出した話が先の書籍に出てくる。彼女は、グールドが人のあたたかさというものを生涯知らずにきたのだと思うと急に悲しくなったのだ、と説明する。本の筆者は、そこからグールドが病的な潔癖症だった話につなげて同情していたが、二度の恋愛経験がただ潔癖症によって破綻したとも思えない。ファンには、その思い入れの強さから、芸術家グールドの内面的な深さを過信する傾向がどうしてもあるかもしれない。

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CIMG1206.jpg 昨日北野天満宮で7・8分咲きだった(上写真)ので、今日やや期待して京都御苑にも行ってみたらまだ全然だった。御苑の方はだいたい3分咲きくらいでしかない感じだった。両者で標高が違うわけでもなく、よく分からないが、品種の違いとかによるものなのだろうか??今日は花粉のせいか(黄砂のせいだったのかもしれない)一時間ほどで眼がごろごろしはじめ、その後体調が全体に怪しくなってもきたので予定より早めに御所から退散してきた。

 以前から不思議なのだが、京都御苑の近傍にはなぜだかキリスト教会がいっぱいある(ような気がする)。少なくともしばしば通る西側付近には、聖公会系の平安女学院の施設を含めて4つか5つはあると思う(その他室町教会)。また北側には会衆派教会系の同志社(神学部や教会がある)が大きく横たわって面しており、東側にも小さい教会がひとつはあった気がする。南側は京都地方裁判所の大きな敷地が面しているため少し距離があるが日本基督教団京都教会があって、なんとなくキリスト教会が京都御所を意図して取り囲んでいるような風情がなくもないのである。宗教的意味でもあるのか、別の現実的な理由がなにかあるのか、ただの偶然あるいは思い過ごしか。

 HTML5時代になってブラウザ上での動画表現が<VIDEO>タグで簡単に出来るようになってるのかなと思っていたのだが、なんだか各種ブラウザごとに対応できるファイル形式が違うようで、全種の対応ブラウザに見せようと思うと同じ内容の動画を3種類のファイル形式に分けてアップしなければならないみたいだ。むろんYOUTUBEなどの動画投稿サイトの力を借りれば面倒なことはしなくてすむのだが、自分のサーバにプレーヤー付きで上げてみたくてFlash系とかやや試行錯誤していた。が、試行錯誤しているうちに撮ってきた動画のつまらなさが身にしみてきて、気持ちが萎えてしまった。

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 そう言えば、以前時々書いていた周波数オークションについて、興味を失ってしまったわけでは別に無いのだが、今般自民党政権に戻ってしまったことで、いっそう実現が遠のいたと言っていいと思われる。最近の産経新聞の記事(http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130204/biz13020408320000-n1.htm)では、民主党が推進勢力で自民党が反対勢力だったみたいな単純な書き方をしているが、このブログでも少し追っていたが、民主党は、政権を奪取する前に出していた政策INDEXなるものにこれを明記していたにもかかわらず、政権を担う中で態度を二転三転四転...させ、実際に法案を提出したのが最後の最後であるこないだの衆院選直前になってからというものだった。
 選挙の予測として民主党が勝てる公算がほとんど無いのは分かりきっていたのであって、法案を出したという体裁をただ体裁として残すためにこそぎりぎりで出したのであり、実際に通す意志が民主党に満ちていたわけではない。総務省の役人は民主党政権になるはるか以前からこのオークション制度について研究しつくしていたはずで、総務省のサイトにも前から資料があがっていたし海外研修のようなものも行っていたようで、すでに十分な知見を持っているはずなのであり、廃案になった法律は「1年もかけて総務省の役人がまとめた」とかいう問題ではないと思われる。要は民主党が、国民あるいは業界団体の説得、また党内あるいは党外との調整、に有効な手を打たなかったので、政治的にまとめ切れなかったのである。民主党政権の公約に対する振る舞いとして、この周波数オークション導入問題に関しても、ほとんど否定的な感想しか持ち得ない。格好だけで、本気度はかなり低かった。
 たぶん英米等で周波数オークションが導入され出したのは1980年代位からじゃなかったかと思う。既得権益でがんじがらめの日本は出遅れまくっているわけだが、この件に関する新興諸政党の態度もはっきりしないわけだが、来る参院選にも勝つ予測の自民党政権によって、ほとんど葬り去られることになるかもしれない。

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 自己評価や自尊感情の高すぎる人も、本来ありのままの自分を再発見・再評価すべきなのだが、自己愛性人格などはベトナム戦争に行っても最もストレス耐性が強い群だったりするほどなので(マリー・イルゴイエンヌからの孫引き)、周りに迷惑をかけることは頻繁でも、生命力が強くネガティヴな心的状況になりにくいとされると思う。ただ本人として悩む場合はそれなりにあるらしい。
 彼らは、自分が思うとてもすばらしい自分を世間が認めないので、多かれ少なかれ肯定されることを過剰に希求するのであり、メランコリー親和型のパーソナリティーのようなごく低位からなされる存在の肯定の希求などとはまったく別の性質を持っている。
 ただ、自己愛性人格も一筋縄ではなく、ふたつのサブカテゴリに分ける考え方がある。ひとつは無自覚型であり、これはほとんど非現実的に誉めそやされて育ってしまったように見える場合で、無意識的な自己陶酔をしている。ふたつめは過剰警戒型で、そうは現実から褒めてもらえなかったので逃避的に自らを称揚する習慣を身に付けてしまった場合であって、やや奥まった意識的な自己陶酔と言っていいかもしれない。ただ、これらは自己愛性人格内のふたつの極として理念的に捉えたほうがいいような気がする。完全なる無自覚型はもはや人格障害の域を超えてると思われる??

Glen O. Gabbardによる自己愛性人格障害のサブタイプ※1
無自覚型 過剰警戒型
他人のリアクションを気にしない 他人のリアクションを非常に気にする
傲慢で攻撃的 内気で恥ずかしがり屋、あるいは控えめ
自己陶酔 自分よりも他人に注意が向いている
注目の的になりたい 注目の的になることを避けたい
送り手ではあるが受け手ではない 見解や批判の証言として他人に注意深く耳を傾ける
他人によって傷つけたれたという感覚が見かけ上鈍い たやすく傷つき、羞恥や屈辱を感じやすい

 いずれにせよ、自己に対する評価が偏っているので、何か普通でない方法で現実との折り合いを付けなければならないわけだが、中には、自分が思う自分として世間に評価されるために非常に真面目にがんばる人もあるらしく、ただただ傲慢でいやな人ばかりというわけでもないようだ。とは言え、追い求めているものは究極には全能感に近いものなので、仮にそれなりに社会的に成功できたとしても、根本に空虚を抱えたままであるとされるようだ。

※1 Glen O. Gabbard 『Psychodynamic Psychiatry in Clinical Practice Fourth Edition』2005 p487
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