衆院選らしいが面倒なことである。
日本政府があまりにも借金しすぎたため、旧来の与党である自民党は、これまでのように公共事業等で金をばらまき人々から票を買うことが出来ない。おそらく小泉政権が出来るちょっと前辺りから国はそういう首の回らない状況だったろうと思うが、小泉という人はそういう昔ながらのやり方に依拠する自民党を破壊すると公約したために有権者の一斉の後押しを得ることが出来たのだと思う。無論郵政民営化すればバラ色の未来がの甘言とか、アメリカ金融資本の広告に依拠していたマスコミの隠然たる加勢とかもあったかもしれないが、自民党の最終局面に「今まで通りじゃもうどうにもならないので、私達生まれ変わります!」と公約したものだから、潜在者を含めた自民党に親和的な国民が行きがかり上「じゃあやってみろ」と応えたのだと思う。
結局小泉政権は自民党を多少壊しはしたが新しいやり方は特に見付けられなかったようで、爾後与党としてずっと危篤のままだった自民党は今回蘇生することなくそのまま死亡することに相成る趨勢のようだ。
私はこれまで4・5回は選挙に行ったことがあると思う。前回の小泉旋風の時も投票に行った。京都市役所前で小泉純一郎の演説会があるということでわざわざ聞きに行ったことを覚えている。演説自体は特に面白くもなく投票の決め手になるような説明や約束があるわけでもなかった。郵貯や簡保から財投を通じて特殊法人に流れている金を断つために郵政を民営化する必要があるのだという暗黙の了解みたいなものがあの当時世間にあったように思うが、小泉氏は演説でそのことを言明はしなかったように記憶している。ただ私はいずれにせよそんなことが郵政民営化の十分条件にはならないと考えていた。単に要らない特殊法人を廃止し財投をより適切に制御すればいいだけの話で、郵政民営化は方法として明らかに本質からずれていると思えた。現在の世間の解釈としては、アメリカの金融市場に200兆円からの郵貯資金をぶち込むために民営化しようとしたのだという主張が優勢かもしれないが、この説は当時から細い声ではあったが存在していた。しかし私はこれにも半信半疑だった。確かに郵貯の200兆円は巨額だが、レバレッジや信用貸し付けで異常膨張したカジノ経済の全体規模からしたら、それを入れたところでどうなるものでもないのではないかと思っていた。それでもなおアメリカの示唆があったのかもしれないが。
私は政策面での最大の争点であるとされた郵政民営化自体が問題提起として無効であると判断していた。また自民党の自己改革に関してはぶっ壊れようがどうなろうが知ったことではなく、野党は総じてきわめて影が薄かったため、結局前回私はただ白票を投じて帰ってきたのだった。それでよかったのかどうか今もよく分からない。
このところマスコミは事前調査なるものを根拠にずっと民主党の圧勝を言い立てている。何か裏取引でもあったのではないかと疑えるほど各社横並びで『民主党大勝の勢い』。私は7月17日時点での民主党の政策集を党のホームページからダウンロードしてブックレット印刷しざっと読んでいたのだが、例えば地上波帯域割り当てに関しては、オークション制を導入する旨明言している。この種のオークションは欧州でかなり高騰したことが知られていて、普通に考えると今よりも高額の電波利用料を徴収することになるはずなのだが、「次の内閣」で総務大臣の原口一博は4月にこの党の方針と容易に妥協しうるとは思えない独自の立場を表明している。だいたいFCCにすると政府は建前上電波利用料の設定自体に介入できない。その場その場で餌になりそうな政策案を適当にばらまいてるだけではないかとも思えるのだが。
公約として提示された諸政策には大半の人にとって賛成のものも反対のものもあるであろうから、さながら巨大な毒入りまんじゅうの様相を呈しているとも言える。仮に、選挙で勝ったからすべての政策案が肯定されたと主張し出すとすればあまりに危険なことである。
いずれにせよ私は、政権交代の意義はそれだけでも小さくないとは思うけれど、種々の理由で民主党に入れることを躊躇している。またぞろ白票かもしれない。
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これまで何冊かの原書を含め外国の精神科医が書いたメンタルヘルス系の本を読んできて、自分なりに思うのは、「人間にとって人間こそがまだまだ未知の存在なのだ」ということだ。あるいは精神医学という学問領域はちゃんとした科学と呼べる水準にはまだ達していないということだ。世界的に有名な医者でも「患者と二人三脚」や「精神科医は回復への補佐役に過ぎない」みたいな事を率直に書く。無論日本の精神科医でも誠実な人はそのように書くのだが、「引きこもりは必ず治せる」(斎藤環)とかわりと平気で書く人もいる。それらはセールストークのようにも聞こえるし、善意に取れば病者を励ましているようにも聞こえるが、基本的には虚偽であろうと思う。また厳密には医師法にも違反している発言かもしれない。
日本には精神医学の領域にまともな学者は殆ど居ないのではないかと私は思っている。阿闍世コンプレックスの古澤平作や小此木啓吾などがいるが世界的には殆ど価値など認められていないと思うし、この仮説が人間の欲望の根源を捉えているとは到底思えない。フロイトのエディプスコンプレックス仮説の方がより正統だなどというようなことを言いたいのではない。フロイト以降は、こういったそれらしいような基底コードを設定する行為自体を乗り越えねばならないはずなのだ。日本の精神医学界は要は物真似のように欧米に追従しているだけなのであり、まともでオリジナルな研究など殆ど存在しない。しかし追従してる側の方が権威的で断定的な態度をとるのは一体どういう訳だろう?
神戸の酒鬼薔薇事件のときのワイドショーで、犯行声明の文章をひと目見たあるマイナーな大学病院の精神科医が、「これは精神分裂病を装った成人だ」などと殆ど断定に近い口調で分析していたのを思い出す。無論真犯人は少年だったのであり、裁判に付帯する時間を掛けた正式な精神鑑定では行為障害その他と判断された。その準レギュラー的な扱いの精神科医氏は少年の逮捕後もしばらくワイドショーに出続けていたがいつしか見掛けなくなった。しかしおそらく今もこの国のどこかで医療行為を続けているに違いない。
薬剤の未発達ということもある。SSRIに関する本をかなり前に読んだが、偽薬との比較においてのSSRIの自殺率の高さと症状改善に関するアドバンテージの低さはショッキングだった。最近ニュージーランドで抗鬱剤の効果を否定するような調査結果も発表されたようだ。しかしそれ以前に、精神医療の現場で多く流布している鎮静剤や覚醒剤は所詮表面的な症状を抑え改善するものでしかない。無論周辺の反応を矯正することで病んでいる本質が快方に向かう場合があるだろうことを否定しはしない。しかし、病気そのものに直接に効く薬などは現在存在しないというのが本当のところのはずだ。
ネットラジオ等で個人放送をしている精神科や心療内科への通院者は少なくないが、たまに聞いていると、保険診療の点数稼ぎのためにでたらめな処方をして患者を廃人にするだけの精神科医の話が出てくることがある。例えばグループワークで出会った仲間が、最初は幾らか無気力で感情の水位が低いだけだったのに、いつしか支離滅裂なことを言い始め、異常な行動をとるようになり、そのまま元に戻らなくなるのだという。その人物の症状に相応しくない程多種多様の薬が夥しく処方されていることをずっと不審に思っていたこと、素人判断とはいえあれはまず薬以外に原因は考えられないこと、またこの種の出来事が案外珍しくはないこと、ある種の精神科医は患者を人間だと思っていないこと、等について彼らは憤り嘆く。
一方で、精神医学という営為そのものを否定する人々もいる。しかし現在実態としてそれ以上に有効なものがないのに、「さかしらに」精神医学の未熟性や種々の仮説の非現実性ばかりをあげつらってこの営為のすべてを否定する態度は公正ではないように私は思う。やはり必要なことではあるのだ。過信・盲信は厳に禁物だけれども。
先ごろ『沖縄ノート』を巡る名誉毀損裁判で一審の判決が出た。そのしばらく後のタイミングということで、元来この争いについてよく分かっていない私としては、本誌における被告大江健三郎氏の主張から争点を手っ取り早くまとめて理解できるかもしれないと思い込み、大垣書店で雑誌を立ち読んできた。
曽野綾子が「巨塊」を「巨魁」と誤読・誤記していることの指摘とか、それを無修正で転載・引用してしまう軽薄な学者やジャーナリスト達のこととか、「罪の塊」が"Corpus Delicti"の訳からの表現であることなどの細かなことに関する叙述が延々続いて、多少は事情を理解したが何だかげんなり。こんなの数十行くらいで済む話ではないのかなどと思い、帰ってきてネットを検索してみたら、本件においては訴状内容の関係でそれらがかなり本質的な話題であるとのこと。しかし、そうならそれで、これ自体が瑣末な争いだったのか。
今のところ、ある局面に限っては高潔で自己犠牲的な判断をしたことが事実として露見したと思われる赤松大尉ではあるのだが、彼の命令があろうがなかろうが、慶良間の集団自決が軍による制約的な状況下において且つまたその手榴弾によって行われたのは変わらない事実なのだろう。文書や口頭による正式な命令が無かったことが、赤松大尉の汚名を幾らか晴らすとしても、別に軍の関与の全否定にまでつながらないのは当たり前の結論だ。
英語版のwikipediaを見ると、「罪の塊」表現の元とされる"Corpus Delicti"という言葉は本来は「他殺体」などではなく「罪体(犯罪構成事実)」といったほどの意味を持つようだ。大江氏がこの言葉に対して何らかの誤解をしていたとしても、あるいは流布している誤解をそのままに受け取っていたとしてもあまり関係はない。ある他殺体がその加害者側から見て己の「罪の塊」であると表現することに別段の無理はないからだ。表現を生み出す過程に些細な瑕疵があるというだけだろう。
ただ、私自身は『沖縄ノート』は高校くらいに読んでそこに用いられていた表現の詳細の一々などとうに忘れているが、軍側に対して「屠殺者」とかかなりの否定的な言辞が書き連ねてあったように記憶するのだが。今回原告側に誤った先入観があったのだとしても、本書のどこをとっても厳正に名誉毀損等に当たらないかどうかは疑わしいという心持もする。
昨日オンラインで何冊か予約したが、近所の図書館はゴールデンウィークのために休みが一日ずれて水曜が休みということになるようだ。無事確保はされているようだが、受け取りがいつになるかはよく分からないが、そのうちメールが来るだろう。
インターネットで出会う様々なコミュニケーションの内に自分にとって本当に必要なものがどれだけあるのかと怪しむ機会が増えてきている。この夥しく、整理されない、中途半端な情報群に触れながら、ただ時間を空費しているだけだと嘆ずる頻度が年を追うごとに高くなってきて、そろそろ何かが或る閾値を超えようとしている感じなのだ。
離れた家族や知人とネットを介して話すような場合は横に置いて、人々はネットで一体何を話し合っているというのだろう?このひどく不完全なコミュニケーションに、ただ寂しさを紛らわせているのだという主張もあるかもしれないし、かなりの程度そうなのかもしれないが、今の私の心境としては、そういう自らをたぶらかすような態度をこそ自分の中から排除したい。
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