読むだけ英語からの脱却を(そう読めるわけでもまたないのが情けないが)目指している私だが、今年度から普段学習のメインを『実践ビジネス英語』に移すことにした。愛着ある『ラジオ英会話』はやはり聴き続けるとは思うが、テキストの方はもう買わないことにしようかと思っている。
私だけに当てはまることではないと思うのだが、たぶん英語学習で一番やってはいけないのは、無理にジャンプしようとすることであると思う。常に焦らずできるだけ身の丈にあった方法でゆっくり進まなくてはいけない。見栄を張って高度なテキストやトレーニングに手を出さないことが、あるいは分不相応だとわかった時点で、すみやかにグレードダウンすることが正しいふるまいなのである、と多少のにがい経験から思うのである。
だから今回学習方式をグレードアップするに際して、私はやや緊張気味である。『実践ビジネス英語』はNHKが提供する英語学習番組の中で最難度の番組であり、まさにこれは私にとって過分な「ジャンプ」でありうる可能性もある。まあ、スムーズに行かないようならすぐに軌道修正する柔軟性は保持しておきたい。
身辺雑記のブログ記事
二条城の西側には中学校がふたつ高校がひとつ面していて、付近を朝夕に通ったりすると子供たちだらけなのだが、今夕遭遇した下校途中の学生服の群れの中から、「愛されない」と誰かが無機質な声を発するのが耳に入った。見ると、中学生にしても高校生にしても小柄なひとりの少年がそのように口走ったようだった。
たとえば、セント・バレンタインデーの今日に、目当ての女の子からチョコレートをもらえなかったために憮然とそのように慨嘆したのか、あるいは、もらえなかった者の地位についてただ一般論として横の友達とでも話した言葉の切れ端にすぎなかったのか。しかし、聞きようによっては、たんに異性から愛されないのではなく誰からも愛されないと主張しているようにも取れ、私は何となく動揺して、群れを横切りながら、怪訝にその少年のメガネの向こうの表情を推し量った。むろんそこまで深刻な感じではないような気はしたのだが、腑に落ちるわけでもなかった。少年がふたたび「愛されない」と繰り返したが、私は彼らの群れを通りすぎてしまった。
京都の中年以降の女性には、他人が邪魔でどいてほしい時や近寄ってほしくない時に空咳をする人がいる。いつか書いたバス停に居住するあのお婆さんもそうだった(彼女は今ではもう見かけなくなっている)。もちろん、どいて欲しい時に「すみません」とか「あの」とか普通に言葉で表現するちゃんとした人もたくさんいるのだが、いい大人の女性が咳で人を散らそうとするケースが京都では時々ある。
本当に京都だけに顕著な習慣なのかどうかむろん断定はできないのだけれど、たぶん15くらいの都道府県には(単に通り過ぎただけではなく)行ったことがあると思うが、私は少なくともこのような習慣を京都以外で目撃したことはない。よく京都人はいけずとかお高くとまっている(?)などと言われたりするが、多くの場合ただ野蛮に映るだけかもしれない。
自分の進行方向を塞ぐ人に向かってわざとらしく空咳をしながらにじり寄っていく「京おばさん」がいたらわりと要注意である。
ミラノ・スカラ座バレエ団がザハロワを迎えた『白鳥の湖』のDVDを流しながら書いている。このところ少し抑鬱になりがちだったのだが、いい舞台で、なんだか取り直してきたかも。ただ『白鳥の湖』はこのあとバッドエンドになるはずではあるが...。ザハロワ出演作は『ドンキホーテ』もあったので借りる予定。私がいつか観たザハロワ出演の最初の作品は、日本の新国立劇場バレエ団が彼女を呼んだ『ライモンダ』だったのかもしれない。あんまり自信ないが、ひとりの男性客がうるさく叫んでいたらそれだが。
鑑賞するのは別にザハロワ作品じゃなくてもいいのだけど、乗りかかった船というか。
私はあんまり躁鬱の幅がないというか、あってもそんなに「効かない」変な体質のはずなのだが、どういうわけか昨今「解凍」してきたらしく、このところやや気分が沈みがちになったりした。抑鬱から脱出する内的手順は、
①人は不完全な存在だから、厳密な意味での絶望が許されないことを思い出す。
②何か認めたくない現実があるはずなので、それを特定し認める。
という感じであろうか。①は抑鬱に潜む行き過ぎた断念に対する批判を糸口にして、希望の前駆体というかその兆しを復元するというもの。とは言え、気分が沈むにはそれなりの現実的で妥当な理由があったりするのであり、その現実が覆るわけではないのだが、反駁の余地をごく控えめに確保するだけでもずいぶん違う。無知蒙昧なる人間に厳密な次元での断念は許されないのである。②は認めるべき認めがたいことを特定し認めてしまうということで、自己の内的な再構成を行うということである。以前紹介したバーンズの著作もそうだが、②は鬱病関連の本にたいてい書いてあるような心的操作で特に珍しくはない。
『白鳥の湖』観終わったけど、なんかハッピーエンドになっていた。そういう演出にしたのでしょう。
うっすら積もっていた雪を朝の雨が解かしている。今が一年で一番寒い時期と言っていいのかな。
なかなか言葉というのは伝わるように書けないものだが、あんまり肩肘張っても仕方ないような気もしてきた。自分の無力を痛感。しかしなんにせよブログの書き方というかそのための心構えをこれまでと変えるつもり。
去年の暮にツイッターのリストに登録した人が全然ツイートしないと思ったら、いつのまにか非公開になっていた。経緯不明。かなり網羅的に社交的な感じの人物でそれで目立っていたのだが、今月あまり見てなかったとはいえ非公開化の兆候は思い当たらない。なんかあったのかな、とここで書いても仕方ないわけだが。
最近個人的にネット再評価というか(「再評価」は変か、なんと言えばいいんだろう?)、ネットが本格的に人々の人生の一部というか抜き差しならないツールに進化してきた感じがあるのかなと思ったりしている。私自身もネット上の他者に学ぶ感じが強く、一定の年月を経たりして、受ける衝撃の度合も増す。ある人には特に感謝の念を持っているが、ほぼなんの交渉もないのに一方的にそう伝えるのも奇矯なので、どうもしないけれど。ネットの不思議なところ。
もちろん自分に「センサー」がない情況や現象にふれても意義は薄いのだが、合致する対象をネットに探し出せた場合、かなり強いインパクトを受ける場合もあると思う。私自身この数カ月で少し変わったと思う。凍った心も少しは解けたか。
Yeah!
以前のエントリーの混乱している箇所を多少修正したけど、自分でもまとまらないまま即興的にエントリーを書き出すのはホント気をつけよう、いまさらだけども。目も当てられない。しかし、それ以前に、ブログとの距離感そのものを見直したい気がしている。
パブロン微妙。のんだらのんだで胃が荒れる。肝臓も使う。
寒いけどもウォーキング再開せねば。
私の美意識がどこにも対象を見い出せないみたいな不毛な話を昨今殴り書いてるわけだが、思春期以後の酷かった期間に比べるといちおうある程度は現実と和解している気はする。なにかの努力で改善できたのではなく、時間が勝手に中和した感じでしかないけど。
これはたぶん私自身のスプリッティング的な部分が関係しているのだと思う。「人嫌い」としてはそれ以外にも色々な要素がつめ込まれていると思うが、たぶんのろのろ緩和してはいる。
ユングは流行らないしよく分からないけど、ユングの「イマーゴ」概念をコフートが文中に使っていた。なんだかんだで生き残ってるんだなと思った。イマーゴは、親の人物イメージがその後の対人関係の祖形になるみたいなある意味当たり前な感じの話で、たとえば見ず知らずの他者に初めて会っても人は個々決まったような「構え」を取るわけだが、イマーゴはその無意識的な構えにも関与している。健全なイマーゴの獲得に失敗するとその後の対人関係が偏ったりうまくいかないみたいなことにもなる、とされると思う。まあ普通に考えてもある程度はそうなのだろう。偏った親イマーゴの克服方法は?
年末年始にかけてRSSリーダーとかtwitterのお気に入りを大幅整理していた。あと全体に観なくなっているニコ生のお気に入りもかなり消した。消しまくって、ほとんどミラーコミュがメインになってしまった。新しい社会現象だと思って気にしていた市民右翼系のコミュやtwitterも、私の中で「オワコン化」したのですべて登録抹消した。
「夫婦関係の精神分析」は去年末に届いてるけど、ゆっくり読む。通読することが目的なのではなく、読みながらいろいろ考えることがメインなので。自分を子供とする夫婦のことも念頭。
英語圏のSM系のフォーラムを情報源に少しそういうサイトを見て回ったりした。(以下リンク注意)
アメリカで今人気があるっぽいミストレスのサイトのサンプル動画(一見声のかわいい小奇麗なおばさんが、わりと異常なことをカメラに向かって当たり前のようにしゃべり続ける)で、自分の英語のリスニング力の向上を知った。どうやらぼんやりとは聞き取れる感じになっているようだったが、そのことはできれば別の機会に知りたかった...。
このおばさんは、SM嬢であることが隣人に露見して何か差別的な態度を取られたらしく、ブログで怒ったりしている。一般のアメリカ(orカナダ)人は実は日本人が思っているよりずっと保守的だと思う。
見た目ならこの人がきれいな気もしたけど、喋るとややもっさり感。
スタイルだけならこの人もかなりだけど、専業のSM嬢ではないみたい。
巨乳系もいたがよくわからなかった。あと女王様はポルノスター的に名前を売れるけれど、M系の方はそういうのはダメみたいな感じだ。
あんまり関係ないけど、少しSMっぽい歌詞があるのを思い出してYouTubeでアン・ルイスの『WOMAN』の動画観てたら、妙にアン・ルイスがかわいかったので貼ってみた。繰り返される"My name is woman."というフレーズはまさに女性の「個であることの自己否定」なのだろうけれど、ひととき女性らしい夢を見るためのものならことさら咎めることもないことなのであろう。
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