思いつくままのブログ記事

 前々回取り上げたワシントン・ポストのおばさんの今日のツイートがプチ炎上していて、そのことに関するエントリーをさっき一旦上げたんだけど、くだらないことに首を突っ込むのもなんかしょうもない感じがしてきて削除してしまった。要は業務として怪しげなところに火をつけまわってるおばさんなのだろう。差別ネタを嗅ぎまわってる感じが色濃い。それに乗せられるのもアホらしき哉。

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CIMG1954.jpg 慰安婦問題で左系のラスボスっぽい吉見義明の著作を二冊読んでみたのだが、肝心なところで独断や推測が出てきて、なかなか微妙な印象だった。特に一部の論者が当時の国際法上で慰安婦制度そのものが違法だったかもしれないとする根拠に「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約」というのがあるらしいのだが、この条約は植民地や属地を例外化する付帯事項があり、日本は当時朝鮮や台湾の名を挙げて例外化の宣言をしている。吉見氏はこの宣言が無効であるかのようなニュアンスで話を進めてこれはなにかハードな証拠が出てくるのかと思ったのだが、ある法律家NGOの解釈を根拠として出してきただけで、なんだかあんまり次元が高くない。

 慰安婦問題は去年うろ覚えの中曽根元総理の弁明をもとに、独断的なエントリーを書いてしまった反省があるのであまり決め付けるようなことは言いたくないのだが、ふたつの本とも、なかなか怪しげな印象を持たないではなかった。吉見氏が共著者である方の本の中には、上の条約に例外化の付帯事項がないようなことを断言している人がいたり、また、慰安婦制度のことをエポックな悲劇として詳しく子供たちに教えるべきだと主張する中学教師などがいて、奇妙だったり気持ち悪かったりした。
 一般論として、批判能力の弱い子供にはどうしたらより良いかを教えるべきで、負の事例についてことさらに深く追究させる必要はないと思われる。

 まったくの別件で今T・モラウェッツ『ウィトゲンシュタインと知』を読んでいて、偶然目に留まった印象深い箇所(p28)があったので下に書き写しておく。

 歴史上のある出来事を主張するために証拠を集める場合、その出来事に関するわれわれの確実性の程度はその証拠によって規定される。しかしその証拠の全部が全部錯覚ではないということに関する確実性は根拠付けられるものではないし、それを我々は知っているとは言えない。この確実性を支える証拠はありえないのである。というのはこれに関して誤っているという仮設(ママ)は我々が証拠を持っているという可能性そのものを切り落としてしまうからである。
 まあいくら歴史を論じても際限がない面が原理的にある、ということであろうか。

 なんでウィトゲンシュタイン本なぞ読んでいるかというと、ウィトゲンシュタインが、無限を実体的に捉えられない人間はある規則が反復されることを無限として認識しているに過ぎない、みたいなことを言っていたのを思い出したからなのである。最近私は、人の「愛着」に「無限」の感覚が必ず付帯するような気がして、無限をめぐって、それっぽいものを同時並行で読んでいる。もう一冊読みかけなのも、遠山啓の『無限と連続』である。

 3月は会計年度末で企業のネット広告用の予算が吐出されて多少上がりが良くなるなどと言われるが、私の自作サイトの広告もこのところ微妙にそんな気もする。今週になって再び1日4百円を超えだしている。
 しっかし4月はサーバ引っ越しするんだろうか。めんどくさいなぁ...。

 ニコ生やなんかの人気放送をランキング化しているサイトが新興のアフリカTVに対応していたので、ふとこれどうやってるんだろうと思って、なんとなくアフリカTVの放送一覧ページのソースを眺めていたら、ピンときて色々やっているうちに自分でも放送一覧JSONが取得できてしまった。
 興味のある方は、下記URLをリファ'http://live.afreecatv.jp'に設定してCGIなどからアクセスしてみてください。
http://live.afreecatv.jp/app_lives.php?pt=get_cast
 一般ブラウザからアクセスしてもリファが違って弾かれるだけなのであしからず。
 しかしリファなどの環境変数を書き換えるのってネットプログラミング的には珍しいわけではないみたいだけど、法的にどうなんだろう?ユーザーエージェント(これも環境変数の一種)の偽装についてはWikipediaに項目があって、これを読む限りでは特に法的にどうこうって感じはないみたいな風ではあるのだけれど。

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 たいていの日本人コスプレイヤーはひどい。
 しかし本人が満足ならそれでいいのかもしれない。
 趣味の問題?
 うーむ。

 とは言え、白人ならいいかといえばそういうことでもないみたいだが、多少は許せるのはあると思う。元ネタ知らないから強くは言えないが。
 韓国の女戦士的なコスプレ画像で一瞬印象いいと思ったのがあったんだけど、よく見ると付けっ鼻ぽかった。しかしコスプレはもともと偽装的な世界だから、多少整形っぽくてもあんまり気にならないのはポイントかもしれない。

 ピザ焦がした。

 飲酒しすぎない。

 ストレスはたいていの精神疾患のトリガー。

 いろいろアホらしくなってる昨今なわけだが、くじけないようにしたい。

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 私が今まで読んだ早期の育児法でもっとも強い印象(悪い意味で)が残っているのは、「死の腕」という書籍に書かれてあったきわめて単純かつ悪魔的なやりかただ。どちらかというと神経の細い私が、なんであんなおどろおどろしい伝記を買ったのかよくわからないけれど、そういう自分自身に嫌気がさすような感じで迷ったあと無理をして選んだように記憶している。
 ヘンリー・リー・ルーカスの母親はヘンリーへの授乳のたびに必ず彼をつねったという。
 一瞬意味が分からなかったかもしれないが、これは書き間違いではない。この世の中苦痛を伴わない喜びなどないと彼女が言いたかったかどうかは分からない。無償の愛、無条件の愛が不在であることの宣告?ヘンリーの母親は今で言うSM嬢のような人だったらしい。あるいは"No pain no gain."はSMにおける鉄則だろうか。いずれにせよ彼女はそれを乳児に適用したのだ。
 もしメラニー・クラインが生きてこれを聞いたらどのように反応しただろう。卒倒しただろうか、いや、クラインはそんな弱い人ではないか。
 母親を含めたおびただしい殺戮のあと逮捕され収監されたヘンリーは、さまざまなエキスパートが入れ替わり立ち替わりカウンセリングしようとしたにもかかわらず、それら誰にも心を開かなかった。学術的な精神分析記録などは、だからまったく残っていないはずだと思う。
 彼はひとりの凡庸なキリスト教修道女にだけわずかに心を開いた。

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 雨中選挙カー(維新)に出くわして、ひとりだけ窓を開けて手を振ってくる女の子がいたのだが、あるいは立候補者の親族か何かだったのかもしれない。しかし、関西で巻き起こったとされる維新ブームはもうほとんど終わりである。大阪と京都ではもともと温度差がある。なかなか難しいかもしれない。

 チャンネル桜の外交討論をたれ流していたのだが、つまんないなあと聞き流していたら、パート3の中盤に入る辺りから急に美根慶樹(元駐ユーゴ大使)のスイッチが入って面白くなった。外務省のいわゆる「弱腰外交」と呼ばれるものの現場でのリアリティが垣間見れそうな感じになったのだが、いきり立った司会者などが日本側の立場をくどくど繰り返し始め、せっかくの議論の糸口がかき消されてしまった。つまり、美根氏はそんなこと主張したって無駄だと言いたげだったのであり、司会者等はなぜ彼がそういう認識に至ったのかの理由を掘り下げて訊くべきだった。美根氏は「アメリカは百も承知」と強調した。そらそうなんだろうなぁ。

 ネットに出回っていたペヤングの昆虫混入写真を見てしまって以来即席麺的なものをまったく食べていない。立ち直りにはおそらくまだしばらくかかる。

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 因果関係ってものは難しい。今の人間に把握できる直接的な因果から外れれば無意味・無関係と言えるわけではないかもしれない。
 「前後即因果の誤謬」というのがあるんだけど、こういうのは既知の因果関係から外れるものを全て排除するような傾向があると思う(そうなりがちだと思う)。
 何を因果とするかは簡単な事じゃない。

 他人にアドバイスするって(改めて思うのだが)多少なりともこわいことだ。アドバイスする側はある意味全存在が試されている、かも。
 俎上にのぼっている物事に関する知識は当然のことだけど、教える相手の人物把握もなければならないし、ひいては自分がどういう人物であるのかも試される。間接的な条件や周辺状況ももちろん。それら様々なことが本質において整合しなければ現実的かつ積極的な効果をもたらさない。二十歳を超えたようないい大人が軽率にドグマを他人に押し付けている光景は相当間抜けかもしれない。いや、単に間抜けだけでは済まない、暴力の根源となっているような局面も往々にしてあるかも。

 最近『カラマーゾフの兄弟』の私生児スメルジャコフのイメージが何故か脳裏を横切る。特に「ぼくのお金...」とスメルジャコフが縋るようなシーン。あれは作中どこのシーンだったのだろう。スメルジャコフは、兄弟たちの父親が街で有名な白痴の女性を酔っ払って強姦して生まれてしまった腹違いの子。
 読み返したい気持ちがふつふつ湧いているが、今は無理かなぁ。

 ちょっと風邪引いていたが、鼻風邪みたいだった。

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 真実が顕現したと思う自分の反応がものごとの真実性を保証するわけではないことは言うまでもないわけだが、曖昧な記憶や観念に思いがけず具体的な形が与えられたような瞬間などは気をつけねばならない。私も最近経験して反省しているのだが、「これだ」と思ったら一呼吸置くのがいいであろう(と、平静な時は思うものである)。

 英語の幼児語で'No.1'はおしっこで、'No.2'はうんちのことらしい。そういうTシャツを着ているアメリカ人はよくいる。

 英語の幼児語のうんちといえばpoohがあるみたいだが、私のいつものマグカップには"We will build an Eeyore House with sticks at Pooh Corner."と記されている。この場合のPoohは熊のプーさんのことなのだろうけど、"pooh corner"ならうんちコーナーともとれる。目につくたびなんかやだなあと思いながらもずっと使い続けている。何度も派手に落としているのにまったく割れない。

 このところ眠れないから体調悪いのか、唇切れまくりである。

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 眠れないのでなんかたらたら書く。

 また自作CGIサイトで悩んでいて、やめてしまいたい気持ちとせめぎ合っている。
 新サーバのお試し期間は23日まで。
 突き抜けようにもプログラミングの世界は奥が深すぎてすこぶる危険。

 今近くを救急車が通っているが、深夜の誰もいない道でサイレンを鳴らし続ける意義についてかねてより疑問だ。

 私は鬱病になったことはないと思うのだが、強めの抑鬱的なストレスに曝された時に、鬱病関連の読書体験が役に立っているような気がする時がある。現実は結局受け留めるしか無いのだ。

 しかし我ながら元気にはなってきたなぁ...。

 遠藤周作のエッセイで井の中の蛙のその後というのがあって、外に出てきてその広さにびっくりして死んでしまうということになっていた。
 そういえばマーティン・スコセッシは「沈黙」を撮り終えたのだろうか?

 比喩を許さない人というのは時々いる。無論事務的な会話だけで許さないのであればある程度理解できなくもないわけだが、比喩や喩え話を普遍的に嫌うような人はある種の疑いを持たれてもしかたがないかもしれない。どういう疑いなのかは書かないが。
 ノーベル賞の中村氏は喩え話を許すだろうか。
 しかし、イエスは喩え話が好きすぎる。

 人間欲をかくということはあるけれど、なにかの稀な幸運に浴した者がさらに稀なる幸運を求めるというのはなんだろう?ナルシシズム(→自己特別視)と関係がありそう、というか人の蒼古的な全能感が今に妨げなく支配力を行使するみたいなことかもしれない。ある種の気のゆるみというか。

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 案の定あんまり体調よくなかったがどうやら復調。
 当分飲酒はしない。

 グノーシス主義はかなり現実逃避的な考えで、ああいうのはたぶん相当に過酷な状況が背後にあったからこそ生まれたものに違いない。戦争・疫病・飢饉など生半可じゃない極端で悲惨な事態の継続が、この種の激しい厭世感情を生み出すものだと思う。正統のキリスト教会がグノーシス派を「異端」とするのは区分けとして仕方がないしある意味では当たり前の判断かもしれないが、チェスタートンのような比較的恵まれた生涯を送った一般人がグノーシス派を批判するのは、どこか違うような気がする。思想の背後にあるかもしれない極限的な苦悩に値段をつける資格が彼にあるような気がしない。
 弱いものいじめするなってわけじゃないが、なにか私のセンサーに触れるものがないではない。
 確かに、目の前のワインとキリストの血との区別が付くほどには、現実検討能力が適正に保たれているに越したことはないのは普通その通りであろうが、たとえば中世欧州にはそう思い込みたくなるほど激しい苦痛に満ちた大状況があったのではないか。あるいは、虚を実と思い込むことでどうにか現世を受容する気力を得た人々の着想なのだとしたら、「それとして」許されるべき思想ではないかと思うわけなのである。

 別ドメインに新リロードシステム入れたがうまく動いていると思う。ただし400PV/日弱くらいのページにのみ入れた。負荷を考慮して全体には入れないであろう。
 しかしなにやってんだろうなぁ、我ながら...。

 二条城は秋のライトアップ期間中みたいだったが、何かイベントをやっているのか夕方相当人が並んで、「ここが最後尾です」的な看板を持った整理の人まで出ていた。
・水槽と光と映像、金魚たちの新たなアート世界遺産でアートアクアリウムが開催!
http://kansai.pia.co.jp/news/art/2014-10/post-127.html
 これだったのかな??

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 チェスタートンが、パンやワインをキリストの現実の肉体や血として扱うグノーシス派を非難していたけど、別にいいじゃないかと思った。

 イエスが単に統合失調症者だったのではないかという仮説を紹介していたのがチェスタートンだったかどうか、忘れた。とにかくなんかで読んだけど、いずれにせよ微妙なとこだ。少なくとも近代的な概念としての統合失調症の歴史はわりと浅い。だからイエスの時代に統合失調症が無かったと主張することもできるかもしれないが、それに相当するものもなかったかどうか。

 やばいなあ。あんまお酒強くないのに、今日だけで赤ワインひと瓶飲んでしまうかも。さっきまで酔っ払いながらjavascriptのコード書いてた。酔わないとやってられない的なところもあるのだが。
 うーん、あの自作CGIサイト、いったいどうしたらいいんだろう。

 新しいガステーブルわりといい。グリルでピザ焼いてるが、見てないと焦げる。

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